2000年に北京の小劇場で出逢った『非常麻将』が、2025年夏、東京・横浜で日本語初上演されました。日中台で活躍する若手演出家・奥田知叡(おくだ・ともあき)さん率いる三人之会による企画・主催。四半世紀の時を超え、再び舞台に蘇った瞬間でもありました。
2025年『非常麻将』日本語初演 公演情報
東京公演
2025年7月31日(木)~ 8月4日(月)
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて
横浜公演
2025年8月15日(金)~ 8月17日(日)
会場:神奈川県立青少年センター スタジオHIKARI

『非常麻将』は、私のキャリアに大きな影響を与えた作品です。
四面に観客を配した独創的な演出、緩急自在な役者の演技、そして社会変革期の中国を鋭く描き出した密室心理劇。
「明日何をしたらよいのか」「自分に何ができるのか」
すべてのセリフを聞き取れたわけではないのに、人々の葛藤を映し出すこの舞台に心を奪われました。
セリフは大切ですが、文化や観る者の背景が、ことばを補い通じ合える——そう思った私は、「日本で紹介したい」と戯曲家・演出家の李六乙(リー・リュウイ)氏に手紙を書いたのです。
願いが叶い、日本公演は2度実現。
2001年のBeSeTo演劇祭では字幕翻訳を担当。,2003年には私自身が企画し、平田オリザ氏率いる青年団の協力を得て招聘。その後、中国文学研究の第一人者、飯塚容(いいづか・ゆとり)先生との共訳で戯曲翻訳にも関わりました。
この経験は、現在の高度外国人材の受け入れ支援・人材開発・組織開発における「異文化理解」の土台となっています。
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『非常麻将』を日本語で上演する、と翻訳使用に関する連絡があったのは2024年のこと。夏ごろだっただろうか。見ず知らずの若手演出家から、四半世紀前に翻訳した『非常麻将』の日本語上演に関するメッセージが届く。それもFacebookメッセンジャーで。時代の変化を感じると共に、2003年の日本公演から22年経っていることを知り驚いた。
奥田さんは北京への留学経験があり、そこで日本のアングラ演劇や舞踏などの表現に出逢ったと伺った。私が北京に留学していた2000年前後、こうした日本の表現は、公共劇団で制作された作品に飽き足らない中国の若者の熱狂的な支持を得ていた。60~70年代を象徴する日本の前衛芸術が中国を通じて奥田さんたち若い世代に伝わっている。交流が及ぼす時空を超えた影響は短視眼では予測できないものがある。
『非常麻将』について言えば、日本で上演したいと思った理由は、普遍性のあるテーマ、中国伝統劇の手法を取り入れた、簡素で緻密な美しい舞台演出、そして、4面のどこからいつ観ても隙のない演技をする、役者の高い演技力、外国人の私をも魅了する表現力にあった。
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『非常麻将』は、四面に観客を配した四面舞台が本来の形。四方からの視線を浴びる中、とめどなく会話が繰り広げられる心理劇は、明快な起承転結がないために、ともすると何が言いたいのかわからないと観客に思わせてしまう。難易度の高いこの作品を若い世代がどのように捉え表現するのか・・・『非常麻将』の日本語版上演をとても嬉しく思いつつ、期待と不安が入り混じりながら見守る1年だった。
奥田さん率いる三人之会の『非常麻将』ー それは、三面舞台。閉鎖的で重苦しい空気の漂う、北京のビルの一室。北京を知る者ならここは紛れもなく北京だと思える空間へのこだわりが感じられた。
テーブルには一揃いの麻雀と水の入ったコップ、そして椅子。後ろには麻雀、電話、テレビを象徴する書が舞い乱れる布が壁一面を覆う。鈍く光る灯りの下、張り詰めた表情で4人目(老二)を待つ義兄弟の契りを交わした3人の男たち(老大、老三、老四)。今夜は最後の一局。それぞれの思惑が絡み合い、とめどない会話が続く・・・
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東京では7公演のうち6日目を、3日間の神奈川では千秋楽を拝見しました。それぞれ劇場の個性を活かした異なる演出でしたが、作品のテーマがより伝わって来たのは、神奈川の千秋楽です。公演を重ねるごとに調整してきただけあり、3人それぞれの見せ場が際立ち、布に映し出される老二のシルエットが美しかった。東京公演より照明が明るく調整された神奈川公演は、他の観客席がよく見え、演じる空間の範囲がわかるからなのでしょう、どこまでも暗闇が広がるような東京公演よりむしろ小さく感じられ、集中して観ることが出来ました。役者が観客と交流しながら演じる、一体感のある舞台でした。そして、これまでになく印象的なシーンだったのは、最後に3人がテンポよく言いまわす麻雀と人生をかけたセリフ。中国語版とは異なる日本語の響き・・・演出の変化、役者自身のセリフの理解、表現の工夫、鍛錬が結実したエンディングでした。
今回、日本語版の台本は、衛かもめさんをドラマトゥルクに迎え、飯塚先生と私による翻訳をもとに演出家 奥田さん自身が手掛けました。中国語から日本語への翻訳は、通常長くなる傾向にあり、上演時間に影響します。そこで、中国語版と同じスピード感を保つため、大筋に影響しないと思われる箇所を削除したり、歴史や文化に関するセリフは、日本人が理解しやすいよう少し言葉を足したりしたとのこと。細かく見ていくと、役者の言いやすさや耳で聞いた時のわかりやすさ等に配慮し、さまざまな点に手を入れています。戯曲の翻訳も大変ですが、台本つくりはまた別の苦労があります。
2025年夏。次世代が紡ぐ新たな『非常麻将』は、国や文化の違い、25年という歳月を超えて通じる名作であることを改めて証明してくれました。現代人の焦燥感、明日への期待と不安で押しつぶされそうな3人の会話を滑稽に感じながらも、いつしか自らの姿を重ねた人も多かったのではないでしょうか。
SNS上では、中国の演劇作品を観るのは初めて、中国をもっと知りたい、演出してみたいなど、さまざまな感想を目にしました。日本語版『非常麻将』は、日中演劇交流、日中文化交流の点でも重要な取り組みだったといえます。
東京公演から神奈川公演の10ステージの中で大きな変貌を遂げた、三人之会による日本語版『非常麻将』。ぜひ再演の機会を持ち、さらに完成度の高い舞台でより多くの人を魅了していただきたいと思います。
▶奥田知叡さん主宰の三人之会 公式Xはこちら
稽古の様子や上演の記録を発信、アーカイブされています。
▶公演の詳細・チケット購入はこちら(アーカイブ)
▶三人之会公式サイト
本記事では、2000年北京初演から2003年日本公演、そして2025年の日本語初上演に至る25年の軌跡を、写真・動画・寄稿文を交えて記録しています。
また、戯曲家・演出家 李六乙のプロフィールをご紹介しています。
▼2025年三人之会 日本語初上演

▼左:2000年北京公演パンフレット 右:日本語版『中国現代戯曲集 第5集』

▼2003年日本公演チラシ

2003年の日本公演当時、菊池領子が『人民中国』に寄稿した記事で、初演の背景や当時の想いを綴っています。 ▶記事はこちら(『人民中国』オンライン版)
▼2003年日本公演(青山円形劇場・伊丹AI・HALL)
牛飄(ニウ・ピアオ) 韓青(ハン・チン) 林煕越(リン・シーユエ)




▼2001年BeSeTo演劇祭(利賀)での上演
呉剛(ウー・カン) 韓青(ハン・チン) 林煕越(リン・シーユエ)


▼2000年北京初演
呉剛(ウー・カン) 馮遠征(フォン・ユアンチョン) 何冰(ホー・ビン)



戯曲家・演出家 李六乙(リー・リュウイ)
1961年生まれ。中国最高峰に位置する劇団、北京人民芸術劇院(北京人芸)に所属する演出家。北京の中央戯劇学院で現代劇の演出を学んだ後、中国芸術研究院戯曲研究所にて伝統劇の研究、演出に従事。その後、北京人芸に移籍し、現代劇の演出を手掛ける。同時に、外部の依頼を受け、各種伝統劇の演出にも取り組む。また、より自由な創作環境を求め李六乙戯劇工作室を主宰。自己投資による作品製作も行う。
『非常麻将』(フェイチャン・マージャン)は李六乙戯劇工作室による作品であり、2000年春に北京人芸の小劇場にて上演。4面に観客を配した舞台で、北京人芸を代表する役者3人が緊張感みなぎる緩急の利いた演技を披露し、1カ月以上に渡り120%以上の満席を記録した。改革開放後の急速な発展を遂げる北京で生まれた『非常麻将』は、現代人の将来への不安、自らの存在意義に対する疑問や焦燥感を見事に描き出した。明快な起承転結を持たない作風は、当時、価値観が多様化する時代の到来と評された。李六乙の代表作であり、改革開放以降の中国現代演劇の名作である。
2001年8月には『非常麻将』を含む4作品を収めた『李六乙純粋戯劇戯曲集』が人民文学出版社より刊行された。日本では『非常麻将』(飯塚容・菊池領子 訳)が『中国現代戯曲集 第5集』(晩成書房 2004年8月発行)に収められている。2025年8月の三人之会による上演は、この日本語版戯曲を元に、演出家の奥田知叡が作成した台本による。
李六乙の演出による日本での上演は、2001年、BeSeTo演劇祭の招聘作品として『非常麻将』を利賀では額縁式舞台にて、新国立劇場小劇場では2面に観客を配した演出で上演。つづいて、利賀フェスティバル2002で、故・観世榮夫を起用した日中コラボレーション作品『テーブルと椅子』を披露。翌2003年には、菊池領子の企画制作、(有)アゴラ企画・青年団主催で、青山円形劇場(東京)、伊丹AI・HALL(兵庫)にて、北京初演時と同じく4面に観客を配する『非常麻将』を演出し、好評を博した。
以降、日本では、2006年に日中共同プロジェクト『下周村 ー花に嵐のたとえもあるさー』を平田オリザと共同で作・演出、SCOTサマー・シーズン2015にて『アンティゴネ』が招聘されている。
(文責:菊池領子)
▼2003年『非常麻将』日本公演千秋楽
演出家・李六乙(リー・リュウイ)から観客のみなさんへのメッセージ
通訳しているのは2003年日本公演企画制作プロデューサーの菊池領子

